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「何故か、考えさせられ、そして、安堵し癒されるのだ・・。」 そんなページを目指したい・・・・・・。 |
西暦 | 維摩経に関する歴史など |
615 | 聖徳太子等、「三経義蔬(勝鬘経義蔬:611年・維摩経義蔬:613年、法華経義蔬:615年)」完成 この年、玄奘三蔵、次兄と共に洛陽から長安に移る。17才。 |
617 | この年、五穀が豊かに実る。
中国で、善導(〜681)生まれる。<=親鸞が七高僧に挙げる僧6。=>幼くして出家。三論宗に入り「維摩経」や「法華経」を学んだ。その後「観無量寿経」を一心不乱に学んだが、29歳のときに玄忠寺の道綽禅師に会う。この後長安の光明寺に住んで広く大衆に門戸を開き念仏を勧めた。「観経疏」を著し、これまでの「仏説観無量寿経」についての解釈を改め、念仏往生こそ末法悪世の仏の本位であることを明らかにした。 |
T 『仏説譬喩経(ぶっせつひゆきょう)』 のお話によれば・・・・!! ・・・・ 「維摩経を読む」 菅沼 晃 NHK出版 から |
維摩は自分の病気にことよせて、この身がいかにはかないものであるかを、実に多くの譬喩をあげて説いている。 |
古井戸の喩え ・・・・ 「維摩経を読む」 菅沼 晃 NHK出版 から |
一人の旅人が荒野を歩いていると、岩陰から突然、一頭の象が現れ、旅人に襲いかかってきました。 旅人は必死の思いで逃げるうちに、目の前に古井戸を見つけました。 そこで、 彼は古井戸にたれ下がっている一本の細い木の根を伝わってそこへ向か って降りていきました。 ほっとして下を見ると、井戸の底の四隅には四匹の毒蛇が、真下には一匹の大蛇がどくろを巻いて、自分を狙っていることに気づきました。 すると今度は、井戸の上の方でカリカリいう音が聞こえました。 見上げると、黒と白の二匹のネズミが、かれのつかまっている木の根をかじっていました。 さらに野火までが迫ってきます。まさに絶体絶命の状態です。 あまりの恐ろしさに放心したようになって、かれは口を開けたままで井戸の上の空を見上げました。 そのとき、口の中にポタリと一滴の雫が落ちてきました。 「甘い!」彼は思わず叫びました。 それは古井戸の傍らの樹にある蜜蜂の巣から落ちてきた蜜でした。 旅人は、象・毒蛇・野火などの恐怖をすっかり忘れてしまい、口を開け、 思いをこらして次の蜜が落ちてくるのを待っていました。 |
そして、こう解説があった。 |
この譬喩(ひゆ)のうち、 旅人は、もちろん私たち自身です。(略) 老も病も死も、外部から襲いかかるものではなく、私たち自身にそなわっているもの、あるいは不可避的に引き受けなければならないものです。 |
自覚のないママに迷いの世界にいて、 何時かそれを自覚させられる。 無常観も然り。 白いネズミは”昼”。黒いネズミは”夜”。 交互に出てきて、 命の根っこを囓(かじ)っては去っていく。 いつか切れる”いのち”の根っ子。 一週間が終わると、何故かホッとする。 「休日だ!!」・・・と。 しかし、良くよく考えればこのことは、 自分の余生が短くなって喜んでいると言うことだ!? ことごとさように、 つい、目先のことだけを考える。 これが我々の現実なのだろうか?! 生・老・病・死の四苦と・・・、まだまだ苦労は多い。 四苦八苦だ。 青春期、決して愉しくはなかった。自分(己)を生み出す苦しみがあった。 振り返れば、本当に僅かに落ちて来るささやかな”蜂蜜の甘さ”に、未来の至福の世界を心に描いて、生きてきた。 子どもの成長に喜び、孫の可愛さにすべてを忘れる。 だが、間違いなく”死”に向かって進んでいる。 毎日,老いは進んでいる。 これは間違いない”いのち”の現実だ。 ・・・・・・苦縁讃 |
1 荒野は迷いの世界・・・・。野田風雪 氏(仏教談話会主宰) 名古屋市在住 のお話によれば・・
人間は人間が解っていない → 欠点だらけ → 過信 横暴 執着 が生まれる。 自分自身を、正しく見つめることが出来たら・・・・ 迷いは無かろう?! 苦縁讃 |
続けて・・・・・・・ ”迷い”と「迷いの性質」について |
仏教ではこう観る。・・・・・煩悩ゆえに、迷うと、・・・・・ ◇ 根本煩悩(こんぽんぼんのう)とは・・・・・・・以下に示す 六大煩悩 を指す。 @瞋(いかり) A貧(むさぼり) B慢(過信) C無明(痴) D疑(不信) E見(けん) じん とん まん むみょう ぎ 人間の”眼”は確かか?? (1) 五つの「見」
・・・すべての”見”は、それぞれのヒトの中にいる「我」が見る。いろんな「我」が交叉しながら、世間を見る。 見るのは、『眼』だ。 (2) 五つの「眼」
2 暴流(ぼうる) → 暴走する煩悩。 ・・・・煩悩の持つ性質・・・
1933年東京生まれ。東京大学経済学部、同大学大学院インド哲学科修了。 ・・・・・中略・・・・・ 昨今の世相を考えると、徳とか道が見えにくくなってきていること、衰微する方向に向かっているように思える。 |
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☆ 更に、もう一つの慚愧・・・・「ガマの油売り」の口上 高校時代だった。 講談を聞きながら受験勉強をしていて、”おやぁ〜?!”と思った。 ”これは、言い得て「妙」なり!”と思ったものだ。 『四六のガマ』が、我が身の醜き姿に驚き、たら〜りたらりと脂汗を流したと言うのだから、面白かった。 とても自虐的なほどに、自己否定して悩んでいた頃だった。 この話は、私の心を捕らえて、そして、癒された。・・・・。 しかし、耳で聞いただけで、正確に思い出そうとしても判らなかった。 三十年以上、探した結果見つけた。 以下のとおりであった。 江戸の前期の、新治郡新治村の兵助という男に、”慚”の哲学がどこまであったかは不明である。 しかし、昔は、今以上に仏教思想が市井に染み込んでいたことは間違いないと思う。 醜い自分に、たら〜りたらりと脂汗を流す程のゆとりは、今の世の中には無くなっている。 そんな文化は、すっかり消え失せている。 ”文明”の裏側にひっそりと隠れている。 ・・・・・(苦縁讃) |
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注:<江戸の前期、新治郡新治村の兵助という男が、口上を交えて江戸で売り出したのが起こりという。> |
とき日の経つのは、速いもの。 振り返れば、はかなくも短いもの・・・・。 ************** 「人ごとに一つの癖はあるものを 我には許せ敷島(しきしま)の道」 ・・・→(唐くにへの道) 僧 慈円 ************** 皆様に随分とお世話になり、振り返れば何の為にもなれなかったような・・・侘びしさも・・・?! |
・・・・・ 苦縁讃 |
2 佐藤一斎の言う”慚”とは ・・・・ |
@ 佐藤一斎 「言志録」 4 天道は漸をもって運(め)ぐる。 「天道は漸を以て運ぐり、人事は漸を以て変ず。必至の勢いは、 之を卻(しりぞ)けて遠ざからしむる能わず、 又、之を促して速やかならしむる能わず。」 *************** 訳:天然自然の道はゆるやかに運り動き、人間界の現象もゆるやかに変化するものである。 しかし、ここには成るべくして成る必至の勢いがあり、この勢いはさけようとして遠く離すこともできず、またこれを促して、はやくしようとしてもできないものである。 ・・・ 川上正光 訳 (1912〜1996東京工業大学学長) |
A 同 169 己に恥じざれば人は服せん 我が言語は、吾が耳自ら聴く可し。我が挙動は、吾が目自ら視る可し。 視聴既に心に愧じざらば、則ち人も亦必ず服せん。 我言語。 吾耳可自聴。我挙動。吾目可自視。視聴既不愧於心。則人亦必服。 *************** 訳:自分の言う言葉は自分の耳で聴くがよい。自分の立ち居振る舞いは自分の眼で視るがよい。自分でみ、自分で聴いて心に恥じなければ人もまた心服するであろう。 |
3 ”慚”の姿について ・・・・ 確固とした自己が無くてはならぬ。・・・・・ |
--------- 墨 子 --------- 「君子は水に鏡せずして、人に鏡す。水に鏡すれば面の容を見る。 人に鏡すれば則ち吉と凶とを知る」 |
--------- 最明寺 時頼 --------- わが心 鏡にうつるものならば さぞや姿の 醜かるらん |
4 ”自己否定”と”慚”と ・・・・ 確固とした自己が無くてはならぬ。・・・・・ |
--------- 孟子 --------- 「人必ず自ら侮(あなど)りてしかる後に人これを侮り、 家必ず自ら毀(やぶ)りてしかる後に人これを毀り、 国必ず自ら伐ちてしかる後に人これを伐つ。」 |
宗教とか哲学というのは・・・。山折哲雄 対談 MOKU 1998,12 25ページより |
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